「泣かぬまで 待っただけでは 勝てません」
~家康が天下を取れた理由を組織論で考える~

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戦国時代に終止符を打った徳川家康。彼がいかにして天下を取り、その後260年続く江戸幕府の礎を築いたかを読み解いて、勝つ組織、勝ち続けられる組織の作り方、必要なことを考察していきたいと思います。

徳川家康とは?

言わずと知れた江戸幕府の初代将軍です。1542年今の愛知県岡崎市に生まれました。父は岡崎城主松平広忠。6歳で今川家への人質として出されます。

1560年に桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗死すると、今川氏の支配下を離れ岡崎に戻り独立しました。その後織田氏と手を組み三河国を平定するとそこから着々と勢力を伸ばしていきました。

信長の死後、その後釜を狙い一度は秀吉と戦いましたが、すぐに改めこれに従い、秀吉の天下統一事業にその最右翼として加わります。秀吉の死後、関ヶ原の戦いで石田三成が率いる西軍を倒し、毛利や上杉ら大大名の封を削り、この時点で事実上の天下人となりました。

1603年に征夷大将軍に任命され江戸幕府を開くに至ります。子の秀忠に将軍職を譲位した後も大御所という立場で政務を指導しました。

1614・1615年の大阪冬夏の両陣で豊臣氏を滅亡させ幕府の基礎を固めた後、1616年にその生涯を閉じました。その死後は駿府城郊外の久能山に葬られましたが、翌1617年、日光山に改装し諡名を東照大権現とされました。

家康が天下を取れた理由

そのような生涯の中で現在の家康を家康たらしめている最大の出来事は何といっても関ヶ原の戦いだったかと思います。関ヶ原の戦いは天下分け目の戦い、つまり勝った方が天下を取る戦いでした。これに勝ったことにより家康は天下人となったわけですが、実はこれ以前にも一度、家康は天下を取りに出た過去があります。

有名な小牧長久手の戦いです。信長の死に乗じて嫡孫三法師を担いで天下取りに乗り出した豊臣秀吉と、信長の次男信雄に頼られた家康が争ったものでした。この戦いの決着によって家康は秀吉に臣従することになったわけですが、家康は決して秀吉に敗れたわけではありませんでした。むしろ実戦で優勢だったのは徳川軍だったと言われています。それなのになぜ家康はこの戦いを終わらせ和議を結び臣従したのでしょうか?

史実では、真田家の抵抗にあい北条氏との同盟条件を満たせなかったこと、1583年から2年間の大雨や地震等による天災の影響で戦況維持が困難になったこと等が挙げられていますが戦で負けたわけではなかったのです。

私見になりますが、私はこの時の臣従の決断が出来たからこそ家康は後に関ヶ原で勝利を得ることができ、天下を取ることができたと思っています。そしてその決断をどのように導き出したかは、現在のリーダーたちにも非常に参考になるのではないかと思うのです。

家康に学ぶ

「泣かぬなら 泣くまで待とう ホトトギス」

家康の戦略建てやマネジメントを表現する際に用いられる有名な川柳ですが、つまり家康は待つことが出来た、言い換えると「時機を見極める能力」に秀でていたということになります。

小牧・長久手の戦いの時期、世の中は信長がクーデターによって急逝したことによって急遽訪れたチャンスを掴むべく、全国の猛者達が台頭するチャンスを窺って非常に鼻息が荒く、沸騰したような情勢でした。

天下を取るにはそんな彼らを全て服させなければなりません。いかに1対1なら最強の三河武士であっても、徳川家単独で日本全国を相手取って武力で上回ることは不可能です。ですから外交が不可欠になりますがその外交を優位に進める「決め手」が家康にはありませんでした。

それに対し相手の秀吉は信長を殺した明智光秀を倒しています。かつ、信長の嫡孫である三法師を担ぎ出すことに成功していました。その状況ではここで例え秀吉に勝っても天下を取るには膨大なエネルギーが必要であることを家康は考えたのではないでしょうか。

前述したように小牧・長久手の戦いと言われる長久手の戦では頼山陽が「家康公の天下を取るは大阪にあらずして関ケ原にあり。関ケ原にあらずして小牧にあり」と言わしめた程の見事な戦で2~3万の軍勢で10万の豊臣軍に圧勝しています。

それが出来る武力と知力を持っていながら、それでも時機を見て「引くところは引く」選択が出来たところに家康の凄さがあると思います。

そして偉業へ

しかしただ引いていたのでは勝つことはできません。

家康は動きました。時期を見極めて勝てると確信し、打って出て見事に天下を取りました。ここで家康が勝てると見極めた背景は何であったのか?それは組織が仕上がったことだったと思います。戦いに勝って、さらにその体制を維持していくことが出来る組織を持てたことが家康に決断をもたらしました。

ここでの組織力はその大きさもさることながら、いかに本質に則って組成されたものであるかということになります。

識学では「人と人の繋がりは有益性によって成り立っている」と説明していますが、家康が組織を率いる際に常に意識していたのはまさにこれではないでしょうか。先ほどもお伝えしたように天下を取るには外交が必要ですが、外交の交渉では自らが得ようとするものを手に入れるために相手にも与えなければなりません。

当時秀吉と対峙した家康が持っていたものは現在の愛知県三河地方と静岡県、長野県、山梨県あたりまでのわずかな領土でした。

長宗我部氏と北条氏と組んだとは言えほぼ対等な同盟関係で、それを維持するための条件に常に翻弄されているような状況でした。

それに対し秀吉はすでに畿内全域と北陸を抑え、中国地方の毛利氏との関係も国境線は秀吉が決められる状況でしたから既にほぼ傘下に収めていました。

この状況を打開しようと現在中立の諸将を取り込み維持するためには相当の「有益性」を提供しなければなりませんが、当時の家康にはまだそれがありませんでした。緒戦の勢いのまま戦況を拡大させても戦線や戦力を維持することが難しい状況だったのです。

そこから数年の時を経て家康は後に関ヶ原の戦いに勝利しますが、石田三成ら西軍が過去に秀吉から受けた恩や義理・人情によって軍の統率を図ろうとしたのに対し、家康は「どちらに与することにより利があるか、大義があるか」を説き仲間を増やし結束を強めていきました。

最後は秀吉から寵愛されていた小早川秀明の家康軍への寝返りによって勝負が決したことを思えば、組織が何で成り立ち、どう維持していくかの本質を見極めていたからこその天下だったと言えるのではないでしょうか。

勝つためには【勝機を見極める】こと。そして何より【本質に則った強い組織を作る】こと

打って出て勝てる最適なタイミングを図る。そしてそのタイミングが来た時は躊躇なく実行する。そしてその機会を絶対に逸しない為の確実に勝てる強い組織作りを行う。当たり前のようですが、これが家康が天下を取れた理由だと思います。

そして現代においては特にこの組織作りが重要になっています。正しく勝機を見極めるためには情報収集が必要ですが、家康も忍びを囲い情報収集には余念がありませんでした。この時代トップクラスのアンテナを持っていたことが他家との差に繋がりました。

ところが現代はそこに他を圧倒するで差はつきにくくなっています。であるならばそれを活かすことが出来る組織を持っているかいないか、がより重要ということになります。

組織は「有益性」のつながりによって成り立っています。これだけを聞くとドライな印象を受けるかもしれませんが、どこまで行ってもこれが本質です。

もし今、組織作りにお困りになっているのであれば、好きか嫌いかではなく、是非そこに目を向けて立て直してみていただきたいと思います。

この記事を書いた識学講師

中央大学商学部を卒業後、大学受験予備校の営業として5年ほど従事。その後、大学受験塾を10年ほど経営したのち、識学に入社し、8か月で課長に就任。2021年3月からは営業部長に従事する。

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