識学に対する誤解がなくなり導入を決断
その後も声をかけてもらい、講師の方と話す機会が何度かありました。
面談を通じて、やはり識学はマネジメントの原理原則であり、組織運営に必要なものだと理解するようになったのです。よくよく考えてみれば、それまでの人生で、「組織とはこうやって動かすべきだ」などと教わったことはありませんでした。
結局、初めて面談してから識学の導入を決断するまで1年近く悩みましたね。それだけ、識学理論は今までの当社の社風とは真逆の考え方だったのです。その間、気持ちの整理をつけたり、導入後の組織をイメージしたりしました。決して安い投資ではないので、本当にやる必要があるのかを自分に問い続けましたよ。
―導入の決め手は何だったのでしょうか
現在当社を担当してくれている講師の藤卓也さんが、識学に対する誤解を取り除いてくれたことです。キャッチーなコピーの裏側をしっかり教えてくれました。
なぜ、部下を納得させる必要がないのか。組織として責任を取るのは上司であり、部下の判断によって行動が変わったら、上司の責任か部下の責任かが曖昧になります。責任の所在は一人であるべきですから、部下は上司が判断を下すために必要な報告をひたすら上げればよい。その代わり、結果がどうあれ、部下は上司の責任を負わないということです。
「会社が社員のモチベーションを上げる必要はない」というのも、藤さん曰く「モチベーションは上げると必ず下がるもの。やる気一つで仕事をやるやらないが決められてよいわけがない」。正論であり、識学を導入すべきだと思いましたね。
それまで、Webで面談をしていましたが、最後は幹部全員を集めて、藤さんに皆の前で説明をお願いしました。
―識学のトレーニングを始める前は、具体的にどのようなことに課題を感じていたのでしょうか
個の能力に頼った属人的な組織だったことです。役割という概念がなく、営業成績がよい人に報酬として役割を与えていました。「営業成績がよいからあなたは部長ね」と告げていたのです。ホームラン王になった人に監督を頼んでいたようなものですね。
それに、組織図がありませんでした。私は、新卒を含め全社員の動きを把握していましたし、査定も私が鉛筆をなめてやっているようなもの。従業員が50~60名のときまでそうしていました。今思えば、経営者としてすべき仕事ができていませんでしたね。
当時は販売から営業、商品管理にまで全て口出しをしなければ気が済みませんでした。その代わり、責任も全部自分が負うつもりだったのです。そのため、社員は主体的に行動しようとせず、なかなか成長しませんでした。
それでも売り上げが順調に上がっていましたから、深く考えてきませんでした。ビジネスモデルなのか商品力なのかは分かりませんが、売り上げが伸び続けていたため、組織の力が必要だという発想に至らなかったのです。
しかしながら、段々と社員が増えていくにつれ、いつまでもこのままの体制を続けられないし、これ以上会社が大きくならないのではないかと考えるようになっていました。これは早急に組織づくりをしなければいけないなと思いましたね。
―識学理論のなかで特に印象に残っているものはありますか
やはり、「社員に仕事の納得を求めなくてよい」です。これは衝撃的でしたね。
私は、社員に寄り添って1on1ミーティングや360°評価をしようとしていました。私が創業したての頃は、それが主流の考え方だったのです。
もう一つは組織図の重要性。組織図を作成したことによって、各仕事の責任者は誰かが明確になりました。
それまでは、センターとライトの間に飛んだフライを、セカンドも含めて全員で追いかけているようなものでしたね。それなのに、落ちたら誰も責任を取りません。こうした状態を組織図によって解消することができました。
また、以前は「フラットな組織」を標榜していたためなのか、部下から重要な情報が上がってこないことが頻繁にありましたし、新卒社員同士で決めた話が上層部の知らない間に会社のルールになっていたこともありました。識学によってルールを大切にする文化ができましたから、こうした事態をあらかじめ防ぐことができます。
それこそ、識学導入以前はお客さまに対して挨拶をしない社員すらいたんですよ。「自由な会社なんだから挨拶をしないのも自由」という理屈なのだと思いますが、非常に恥ずかしい話ですし、お客さまに失礼です。私がどこかの会社に訪問した際、同じように扱われたらと思うと悲しい気持ちになります。