アメフト日本代表、プロコーチを経て識学へ
ーー簡単な自己紹介をお願いします。
識学に入社後、営業兼コンサルタントからスタートしました。その後、1年くらいで新設されたインサイドセールス課の課長になり、中途、新卒、社外パートナー様を同時にマネジメントすることになりました。平行して事業開発室長も兼務したのち、2019年4月に大阪支店支店長に着任しました。現在では識学キャリア事業部 にて責任者を務めながら、上席コンサルタントも兼任しています。
また、高校からはじめたアメリカンフットボールと仕事を両立する生活を続け、トータル20年ほど現役としてプレーしていました。社会人になってからはプレイヤーとして日本一に3回経験し、日本代表としてもプレーしました。また、識学に加わる直前は母校である中央大学のプロのヘッドコーチを務めていました。
ーー業界、職種、期間、マネジメントしていた人数など、これまでの自身のマネジメント業務の経歴を教えてください。
リクルート時代に10人弱の営業拠点を3年ほど、その後も少人数のマネジメントを行っていました。アメフトヘッドコーチ時代は学生150人、コーチスタッフ15人程度をマネジメントしていました
ーー識学入社以前のこれまでの自身の経歴の中でマネジメントについて苦労した経験を教えてください。
大企業から中小企業までマネジメントを経験しましたが、常に人間関係に悩まされるとともに、それまで通じていたやり方も組織が変わると通じないという経験を何度もしました。たとえば、ある組織では「君はどうしたい?」と聞けば回答がありましたが、ある組織では「別にないです」で終わってしまう。当時は、後者を「ダメ」と決めつけていて、結局人次第で組織のレベルが変わってしまうと思っていました。でも、いま振り返ってみると人それぞれの価値観や環境が異なるのは当たり前で、それでも組織の力を発揮するのがマネジメントですので、自分自身が未熟だったと反省しています。
また、リクルート時代は特にですが、自分の感覚を部下に伝えようとしすぎていました。今思えば、正しく伝わらないどころか、部下にとっては怒っている理由すらも分からなかったのではないでしょうか。認識不明確なまま追い詰めてしまったのではないかと当時の部下の顔を思い出すたびに胸が痛みます。
ーー識学と出会ったきっかけを教えてください。
アメフトプロヘッドコーチの任期が終わるタイミングで、偶然にも識学を受講しているという知人社長が同時に2名現れ、梶山副社長を紹介してもらったのがきっかけです。